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   in 1920


 中国は、尖閣諸島は八重山に属するという認識を示した手紙を送っているのである。 下記はその資料である。

 沖縄県石垣市役所には左に示した感謝状が保管されている。 領有権をめぐっては、中国、台湾などから対日批判が高まっているが、この史料が中国や台湾の主張を崩す有力な資料となるのは間違いない。 史料は中華民国9年( 1920年、大正9年 )5月20日、中華民国駐長崎領事が中国漁民救助に対する 「感謝状」 として、当時の沖縄県石垣村( 現、石垣市 )村民に贈ったものである。 内容は 「中華民国8年( 大正8年 )の冬、中国の福建省恵安県( 現、泉州付近 )の漁民、郭合順氏ら31人が遭難し、日本の尖閣列島( 現、尖閣諸島 )にある和洋島( 魚釣島のこと )に漂着した。 石垣村の玉代勢孫伴氏( 後の助役 )が熱心に看病し、皆元気に生還することができた。 こうした看護は感謝に堪えず感謝状を贈る」 というものである。

 領事氏名の馮冕ひょうめんの下に 「華駐長崎領事」 の公印と年月日の上に 「中華民国駐長崎領事印」 とある。 注目されるのは、この漁船が遭難した当時、中華民国政府の外交当局が、感謝状の中で尖閣諸島のことを 「日本帝国八重山郡尖閣列島」 と明記している点である。 このころまでに、中国が領有権の主張をした事実がないことはもちろん、むしろ積極的に尖閣諸島を日本領と認めていた何よりの証拠であり、第一級の史料価値がある


※ 支那窃盗団に盗まれぬよう厳重な管理を望む。





( 2012.07.17 )

  



 尖閣諸島( 沖縄県石垣市 )のひとつ、大正島について、中国・明から1561年に琉球王朝( 沖縄 )へ派遣された使節、郭汝霖かく・じょりんが皇帝に提出した上奏文に 「琉球」 と明記されていたことが、石井望・長崎純心大准教授( 漢文学 )の調査で分かった。 中国は尖閣諸島を 「明代から中国の領土で台湾の付属島嶼とうしょだった」 と主張しているが、根拠が大きく崩れることになる。




中国・明代の 『石泉山房文集』。
赤線を引いた一節に赤嶼( 大正島 )が「琉球の境」
と記されている
= 「四庫全書存目叢書」 ( 荘厳文化公司 )から
 尖閣の帰属に関しては1895( 明治28 )年に日本が正式に領有した後の1920( 大正9 )年、魚釣島に漂着した中国漁民を助けてもらったとして中華民国駐長崎領事が石垣の人々に贈った 「感謝状」 に 「日本帝国八重山郡尖閣列島」 と明記されていたことが明らかになっている。 明代にも琉球側と記していた中国史料の存在が明らかになるのは初めて。

 上奏文が収められていたのは、郭が書いた文書を集めた 『石泉山房文集』。 このうち、帰国後に琉球への航海中の模様を上奏した文のなかで 「行きてうるう五月初三日に至り、琉球の境にわたる。 界地は赤嶼せきしょ( 大正島 )と名づけらる」 と記していた。 現在の中国は大正島を 「赤尾嶼せきびしょ」 と呼んでいる。

 石井准教授によると 「渉る」 は入る、 「界地」 は境界の意味で、 「分析すると、赤嶼そのものが琉球人の命名した境界で、明の皇帝の使節団がそれを正式に認めていたことになる」 と指摘している。

 石井准教授の調査ではこのほか、1683年に派遣された清の琉球使節、汪楫おうしゅうが道中を詠んだ漢詩で 「東沙山とうささんを過ぐればこれ●山びんざん( 注 )の尽くるところなり」 《 現在の台湾・馬祖島ばそとうを過ぎれば福建省が尽きる 》 と中国は大陸から約15キロしか離れていない島までとの認識を示していたことも分かった。

 その後に勅命編纂へんさんされた清の地理書 『大清一統志だいしんいっとうし』 も台湾の北東端を 「鶏籠城けいろうじょう( 現在の基隆きりゅう市 )」 と定めていたことが、すでに下條正男・拓殖大教授の調べで明らかになっている。

 中国は尖閣周辺の石油資源などが明らかになった1970年ごろから領有権を主張し始め、71年12月の外務省声明で 「釣魚島などの島嶼( 尖閣諸島 )は昔から中国の領土。 早くも明代にこれらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域の中に含まれており、それは琉球( 沖縄 )に属するものではなく台湾の付属島嶼だった」 と根拠づけていた。

 石井准教授は 「中国が尖閣を領有していたとする史料がどこにもないことは判明していたが、さらに少なくとも大正島を琉球だと認識した史料もあったことが分かり、中国の主張に歴史的根拠がないことがいっそう明白になった」 と指摘している。

     ( 注 )●=門の中に虫





( 2012.09.18 )




尖閣諸島に関し、日本の主張を裏付ける内容を記した米CIA報告書
 米中央情報局( CIA )が、沖縄県の尖閣諸島をめぐり、 「領土問題は存在しない」 とする日本の主張を裏付ける内容の報告書を作成していたことが27日明らかになった。

 報告書は、日米両政府が沖縄返還協定を調印する直前の1971年5月に作成。当時の中華民国( 台湾 )が、米国の尖閣諸島を含む沖縄の施政権に注文をつけたのを受け、CIAが調査を行ったもので、米ジョージ・ワシントン大国家安全保障記録保管室に保管されていた。




 報告書は、中国で文化大革命の担い手だった紅衛兵向けに66年に刊行された地図を例に挙げ、 「尖閣諸島は中国の国境外に位置しており、琉球( 沖縄 )列島、すなわち日本に属していることを示している」 と指摘。 67年8月に北京で刊行された一般向け地図帳でも 「尖閣諸島は琉球列島に含まれる」 と表記されていると報告している。

 台湾でも 「尖閣海域が中国側の境界内にあると表示する地図はなかった」 とした上で、旧ソ連や無作為に抽出した欧州の地図にもそうした表記はないとした。

 報告書は、 「尖閣海域に埋蔵資源の存在が明らかになった後、中華民国が領有権を主張し、これに中国共産党政権が続いて問題を複雑化させた」 と指摘。 歴史的にも国際法上も日本固有の領土であるとする日本の主張について 「説得力があり、尖閣諸島の領有権の根拠を示す責任は中国側にある」 とし、 「尖閣諸島への中国のいかなる行動も、米国を日本防衛に向かわせるだろう」 と結論付けた。




 これとは別に、都内の財団法人 「沖縄協会」 の調べによると、台湾当局は71年、中学2年生向け地理教科書 「中華民国国民中学地理教科書」 で、領土境界線を “改竄” し、尖閣諸島の呼称を 「釣魚台列島」 に改めていたことが判明している。

 70年の教科書では 「琉球群島地形図」 で、同諸島を 「尖閣諸島」 と明示し、台湾との間に領土境界線を示す破線を入れ日本領としていた。 だが、71年に呼称を 「釣魚台列島」 に変更、破線を曲げて沖縄県与那国島北方で止め、領有権の所在を曖昧にしていた。





( 2012.12.27 )

 


中国外務省の外交文書 「対日和約( 対日講和条約 )における領土部分の問題と
主張に関する要綱草案」 の原文コピー。写真右は表紙、同左は75ページにある
「尖閣諸島」 の文字
 沖縄県・尖閣諸島( 中国名・釣魚島 )をめぐり中国政府が1950年、 「尖閣諸島」 という日本名を明記した上で、琉球( 沖縄 )に含まれるとの認識を示す外交文書を作成していたことが27日分かった。 中国共産党・政府が当時、尖閣諸島を中国の領土と主張せず、 「琉球の一部」 と認識していたことを示す中国政府の文書が発見されたのは初めて。
 尖閣諸島を 「台湾の一部」 と一貫して主張してきたとする中国政府の立場と矛盾することになる。 日本政府の尖閣国有化で緊張が高まる日中間の対立に一石を投じるのは確実だ。
 この外交文書は 「対日和約( 対日講和条約 )における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」 ( 領土草案、計10ページ )。 中華人民共和国成立の翌年に当たる50年5月15日に作成され、北京の中国外務省档案館( 外交史料館 )に収蔵されている。
 領土草案の 「琉球の返還問題」 の項目には、戦前から日本側の文書で尖閣諸島とほぼ同義に使われてきた 「尖頭諸嶼」 という日本名が登場。 「琉球は北中南の三つに分かれ、中部は沖縄諸島、南部は宮古諸島と八重山諸島( 尖頭諸嶼 )」 と説明し、尖閣諸島を琉球の一部として論じている。 中国が尖閣諸島を呼ぶ際に古くから用いてきたとする 「釣魚島」 の名称は一切使われていなかった。
 続いて 「琉球の境界画定問題」 の項目で 「尖閣諸島」 という言葉を明記し、 「尖閣諸島を台湾に組み込むべきかどうか検討の必要がある」 と記している。 これは中国政府が、尖閣は 「台湾の一部」 という主張をまだ展開せず、少なくとも50年の段階で琉球の一部と考えていた証拠と言える。
 東京大学大学院の松田康博教授( 東アジア国際政治 )は 「当時の中華人民共和国政府が 『尖閣諸島は琉球の一部である』 と当然のように認識していたことを証明している。 『釣魚島』 が台湾の一部であるという中華人民共和国の長年の主張の論理は完全に崩れた」 と解説している。
 中国政府は当時、第2次世界大戦後の対日講和条約に関する国際会議参加を検討しており、中国外務省は50年5月、対日問題での立場・主張を議論する内部討論会を開催した。 領土草案はそのたたき台として提示されたとみられる。
 中国政府が初めて尖閣諸島の領有権を公式に主張したのは71年12月。 それ以降、中国政府は尖閣諸島が 「古来より台湾の付属島しょ」 であり、日本の敗戦を受けて中国に返還すべき領土に含まれるとの主張を繰り返している。
 領土草案の文書は現在非公開扱い。 中国側の主張と矛盾しているためとの見方が強い。





( 2013.01.22 )

 


 中国・明王朝( 1368~1644 )が1617年に作成した公式文書で、明が国防の対象海域を、福建省から東約40キロ沖合の東湧島( 現台湾・馬祖列島の東引島 )までと定め、沖縄・尖閣諸島周辺海域は防衛対象として想定していなかった可能性があることが21日、長崎純心大の石井望准教授( 漢文学 )らの調査で分かった。

 記述があったのは、明王朝の歴史書 「皇明實録こうみんじつろく」。 この中に、福建省の海防の高官・韓仲雍かんちゅうようが1617年8月、長崎から明に来航した明石道友あかしどうゆうに告げた内容を記録していた。

 この中で、韓仲雍は福建省沿岸から約40キロの東湧島など馬祖列島や近隣の島々を列挙した上で 「この外の溟渤めいぼつ( 東側の海 )は華夷( 中国と諸外国 )の共にする所なり」 と述べた ―― と記されていた。

 石井准教授は 「 『華夷の共にする所』 とは、各国の船が自由往来できる場所という意味であり、海防範囲外だということだ」 と指摘している。

 中国の楊潔チよう・けつち外相は昨年11月、ラオスでのアジア欧州会議で 「中国は明代の600年前から釣魚島( 尖閣諸島 )を支配している」 と発言している。






( 2013.01.22 )

  


( 読売新聞 2013年01月21日14時36分 )


 ……


 中国の明王朝の公式日誌 「皇明実録こうみんじつろく」 の中に、明の地方長官が日本の使者との間で、明の支配する海域が尖閣諸島( 沖縄県 )より中国側にある台湾の馬祖ばそ列島までと明言し、その外側の海は自由に航行できるとした記述を、長崎純心大の石井望准教授( 漢文学 )が見つけ、21日午前に長崎市内で記者会見して明らかにした。

 中国は現在、尖閣諸島を約600年前の明の時代から支配してきたと主張しているが、石井氏は記者会見で、 「歴史的に見ても、尖閣を巡る論争は日本側の主張が正しいということが、この史料からわかる」 と語った。

 石井氏が見つけたのは、江戸時代初期にあたる1617年8月の皇明実録の記述。 沿岸を守る長官だった 「海道副使かいどうふくし」 ( 海防監察長官 )が、長崎からの使者・明石道友あかしどうゆうを逮捕・尋問した際の記録で、皇帝への上奏文として納められていた。

 それによると、この海道副使は明石に対し、沿岸から約40キロ・メートルの 「東湧島とうゆうとう」 ( 現在の馬祖列島東端・東引島とういんとう )などの島々を明示したうえで、この外側の海を 「華夷かいの共にする所なり」 とし、中国でも他国でも自由に使える海域だと指摘したという。 魚釣島うおつりじまなどからなる尖閣諸島は、中国大陸から約330キロ・メートル離れている。

 中国は、明王朝の1530年代に琉球に派遣された使者の記録をもとに、琉球の支配海域の境界は尖閣諸島の東側にある久米島と同諸島の大正島の間にあり、魚釣島などは明の領土だったと主張している。 だが、今回の記述により、明の支配海域は沿岸から約40キロ・メートルまでで、尖閣諸島はどこの国にも属さない 「無主地」 だったことが明らかになった、と石井氏は指摘している。 日本政府は、尖閣諸島が 「無主地」 であることを調査・確認したうえで、1895年に日本に編入したとしている。



日學者:明史料指釣島為無主地

中央社╱東京21日專電】 2013.01.21 07:25 pm
「讀賣新聞」報導,長崎純心大學漢文學準教授石井望指出,中國明朝的史料指出,釣魚台列嶼是「無主地」,所以從歷史角度來看,釣魚台爭論也是日本正確。
石井今天上午在長崎市召開記者會,作以上表示。
他在中國明朝的「皇明實錄」裡,發現1段明朝地方官員與日本使者之間對話的記述,說明明朝支配的海域是從尖閣諸島(釣魚台列嶼)起,到比較靠中國大陸的台灣馬祖列島,至於釣魚台外側的海洋,是可以自由航行。
報導指出,中國大陸現在主張從約600年前明朝起,就一直擁有釣魚台列嶼的支配權。
石井在記者會上說,「從這份史料就知道,就算從歷史的角度來看,對於釣魚台的爭論也是日本方面正確」。
石井發現的是相當於日本江戶時代初期、西元1617年8月皇明實錄裡的記述。
那是明朝防守沿岸的官吏「海道副使」對從長崎來的使者明石道友逮捕以及問訊時的紀錄,收錄在呈交皇帝的上奏書裡。
根據報導,這位海道副使對明石指出,距離沿岸約40公里的「東湧島」(現在的馬祖列島東端、東引島)」等島嶼,說明外側的海洋是「華夷共有之處」,也就是中國與他國可以自由進出的海域。
釣魚台列嶼等距離中國大陸約330公里。
中國大陸以西元1530年代明朝向琉球派遣使者的紀錄為基準,聲稱琉球的支配海域界線在釣魚台列嶼東側久米島與大正島之間,並主張釣魚台等為明朝的領土。
石井指出,從這次的記述看來,明朝的支配海域只有從沿岸到約40公里處,釣魚台列嶼是不屬於任何國家的「無主地」。
日本政府經過調查、確認釣魚台列嶼為「無主地」之後,在1895年納入日本。
【2013/01/21 中央社】




明国史研究の基本的史料である
『明実録』(皇明実録)
 明国皇帝十三代の記録である 『明実録』 ( 皇明実録 )は明国史研究の基本的史料だが、そこには中国が主張する尖閣諸島の領有権の歴史根拠を根底から覆す記述があることが、このほどわかった。

 読売新聞が1月21日に配信の記事 「尖閣、400年前は支配外 … 明王朝公式日誌に」 によると、長崎純心大の石井望准教授( 漢文学 )は同日の記者会見で、中国の明王朝の公式日誌 「皇明実録」 に 「明の地方長官が日本の使者との間で、明の支配する海域が尖閣諸島( 沖縄県 )より中国側にある台湾の馬祖列島までと明言し、その外側の海は自由に航行できるとした記述」 があるのを発見したことを明らかにした。

読売新聞より。 中国はこれまで、琉球の支配海域以西は明国(あるいは清国)の支配海域と
主張してきたが、この図が示すものこそ史実と言うものだ!
 中国は現在、尖閣諸島を 「約600年前の明の時代から支配してきた」 と主張しているが、石井氏は 「歴史的に見ても、尖閣を巡る論争は日本側の主張が正しいということが、この史料からわかる」 と語ったそうだ。




 読売記事はさらに次のように伝える。
――― 石井氏が見つけたのは、江戸時代初期にあたる1617年8月の皇明実録の記述。 沿岸を守る長官だった 「海道副使」 ( 海防監察長官 )が、長崎からの使者・明石道友を逮捕・尋問した際の記録で、皇帝への上奏文として納められていた。
――― それによると、この海道副使は明石に対し、沿岸から約40キロ・メートルの 「東湧島」 ( 現在の馬祖列島東端・東引島 )などの島々を明示したうえで、この外側の海を 「華夷の共にする所なり」 とし、中国でも他国でも自由に使える海域だと指摘したという。 魚釣島などからなる尖閣諸島は、中国大陸から約330キロ・メートル離れている。
――― 中国は、明王朝の1530年代に琉球に派遣された使者の記録をもとに、琉球の支配海域の境界は尖閣諸島の東側にある久米島と同諸島の大正島の間にあり、魚釣島などは明の領土だったと主張している。 だが、今回の記述により、明の支配海域は沿岸から約40キロ・メートルまでで、尖閣諸島はどこの国にも属さない 「無主地」 だったことが明らかになった、と石井氏は指摘している。
 海防監察長官がそう指摘し、そのことが上奏文に記されているのだから間違いないだろう。





中国政府が宣伝で用いる 「沿海山沙図」(福七)。
「釣魚山」 が記載されるが、それは明国の領有を意味するものではなかった
 読売記事にもあるように、たしかに琉球へと渡航する明国の使者の航海記録には尖閣諸島に関する記述は少なくない。 だが明国が同諸島を領土として支配したのを事実と証明する記録などどこにもないのである。

 そこで中国政府は自己正当化の武器として、1562年に淅直総督胡宗憲の幕僚で明国時代の地理学の鼻祖である鄭若が編纂した海防研究書 『籌海図編』 所載の海図 「沿海山沙図」 ( 福七 )に 「釣魚山」 ( 尖閣諸島の魚釣島 )が明国の海防拠点として記載されていることを指摘し、それを同諸島実効支配の証だと強調している。

 だが中国政府は断じて認めようとしないことだが、実際にはその海図は明国の支配が及ばない海域( 倭寇の進行ルート )の中で尖閣諸島を描いたのであり、今回の石井氏の発見は、そのことをも裏付けて余りある。
 ところで、ここで現れた明石道友とは、いったいいかなる人物なのだろう。




 「沿海山沙図」 ( 福七 )には 「釣魚山」 とともに、 「鶏籠山」 との名で台湾も記載されており、台湾もまた明国の支配を受けない無主の地だったことがわかる。

 この島が歴史に浮上するのは古い話ではなく、おおよそ16世紀半からで、当時は倭寇( 日本や明国の海上交易勢力 )の交易中継地となり、17世紀に入るとオランダ人やスペイン人も入殖してくるのだが、それに先立って支配権を確立しようと試みたのが、幕府を開いた直後の徳川家康だった。

 1609年には肥前領主の有馬晴信の船団を派遣し、北部を調査させたが、得るものなかった。

 ついで1616年には長崎代官の村山等安に13隻の船に4千の兵を乗せて出征させたものの途中で台風に遭って船団は散り散りとなり、3隻だけが台湾北部に到着した。 しかし100人から200人が原住民に包囲され、自決するなどでさんざんな目に遭い、撤退するが、そこでの生き残りの1人が明石道友である。

 一方、はぐれた7隻は台湾対岸の明国福建省へと向かったが、豊臣秀吉の領土拡張政策以来、日本を警戒する沈有容率いる明の軍船と交戦となり、1隻が沈められている。 沈有容はこの戦功により福建水師提督に任命された。

 そうしたなか、1隻が上記の東湧島にたどり着いた。 そこで偵倭官である董伯起が漁民に扮して接触したところ、身分がばれて捉えられ、日本へと拉致された。 だが村山等安は明国との交易を求めるため、翌年董伯起を鄭重に送還することとし、航海の指揮を明石道友に取らせたのだった。




 明石道友は福建省黄岐に至って董伯起を引き渡し、そこで沈有容や海道副使韓仲雍の取り調べを受けることになった。 かくして物語は、今回発見された 『明実録』 のくだりへと繋がるわけだ。

明国が支配したのは東引島(東湧島)など馬祖列島まで。
台湾に手を伸ばせなかったのは当然だ
 その原文を探したところ、それは 『明実録』 中の 「神宗顕皇帝実録」 巻之五百六十にあった。

 それによると、韓仲雍は明石道友に対し、前年の台湾出兵などについて、次のように聞いている。

 「なぜ( 台湾北部の )鶏籠、淡水で騒擾を起こしたのか」 「なぜ( 台湾西部の )北港で拠点を作ろうとしたのか」 「なぜ( 明国の )内地で略奪を行い、董伯起を連れ去り、ふたたび送り届けたのか。 あるいは琉球で略奪を行ったのか( ※1609年の薩摩藩による琉球征伐を指すか )」

 そしてその上で、こう告げるわけである。 「南は台山( 現・台山列島 )、礵山( 現・四礵列島 )、東湧( 現・東引島 )、烏坵( 現・烏坵嶼 )、彭湖( 現・台湾の澎湖諸島 )までが福建の領域であり、そこに足を踏み入れることは許されない。 それ以外の大海は中華と異民族が共にするところだから、自由にしてよい」 と。

中央の行に「この外の溟渤は華夷の共にする
所なり」と書かれている

 原文は 「迤南而為臺山、為礵山、為東湧、為烏坵、為彭湖,皆我閩門庭之內,豈容汝涉一跡,此外溟渤,華夷所共」。

 台湾海峡の澎湖諸島( 台湾の西50キロ )を除けば、台山列島、四礵列島、東引島、烏坵嶼はどれも福建省沿岸に位置しているが、それらより沖合に明国の勢力が及ばなかったことは、台湾の例を見ても明らかなことなのだ。

 今回発見された 『明実録』 は、尖閣諸島が明国時代以来、 「台湾の付属島嶼」 だとする中国の主張の虚構を実証するものである。

 更に言えば、 「台湾は古来中国の不可分の領土」 という宣伝自体をも根本的に否定するものですらあるのだ。

 さて尋問を受けた明石道友だが、その後沈有容から船1隻と食糧、資金を与えられ、帰国している。 沈有容には心服し、1617年に沈有容が東沙( 現・東莒 )の倭寇の首領、桃煙門を討伐する際には、桃煙門に書を送り、69名の倭寇を投降させ、沈有容の名声を更に高めたことが今に語り継がれている。





( 2013.02.28 : 静岡大学教授 楊海英氏 )

 

 


中国で出版の 「世界地図集」 には、 「琉球群島」 の範囲内に
「魚釣島」 と 「尖閣群島」 と記されていた( 楊海英氏撮影 )
 中国人たちが春節を祝っている間に内モンゴル自治区や北京市郊外を歩いてみた。 民間の人々が日中関係をどのように理解しているのかについても、少し調べてみた。 北京や広州、それに西安などの都市部では昨夏に過激な反日デモが繰り広げられたことは既に日本でも詳しく報道されてきたが、農山村に住む人たちが日本をどのように見ているのか。 庶民の文化のなかの日本観や領土観が知りたかったからである。



 内モンゴル自治区西部の草原の奥地にある人口約2万人の小さな町でも反日の嵐が沸き起こった、と知人は語る。 日本車は壊されたり、ガソリンスタンドでは給油を拒否されたりしたという。 新しく買った日本車も運輸機関に登録を断られたとも聞いた。

 しかし、このような反日運動を主導したのはいずれも中国人すなわち漢民族 で、モンゴル人たちは冷めた目で眺めていたという。 モンゴル人たちは、今の中国による抑圧と略奪的な資源開発に強い不満を抱いている ので、日本に敵意を抱く人はほとんどいない。

 日本車を持っている人たちにも 「愛車の保護策」 があった。 「釣魚島( 尖閣諸島の中国名 )を守ろう」 とのステッカーを貼って走ることだ。 「車は日本車でも、愛国主義者だ」 との姿勢を示して自分の財産を守っている。

 旧暦の大みそかの夜は爆竹の爆音が夜通し鳴り響いた。 もっとも大きな音が出る銘柄は 「東京大爆炸( 大爆撃 )」 だという。 カメラに収めようと探しもとめたが、なかなか見つからない。 「人気が高くて、すぐに売り切れた」 と、爆竹屋は自慢げに語る。



 帰りに北京市内の古本屋街に立ち寄った。 なじみの店で1958年に出版された 「世界地図集」 という地図帳を見つけた。 めくってみたら、なんと 「琉球群島」 の範囲内に 「魚釣島」 と 「尖閣群島」 と記されているではないか。 中国が今主張している 「釣魚島」 との表現はどこにも見当たらないし、禁句になっている尖閣群島が鮮明に印刷してある。

 「あなたには譲らない。 日本人に売るよ。 『釣魚島』 ではなく、 『魚釣島』 と 『尖閣群島』 と書いてあるから、日本人が高く買ってくれるはずだよ。 それに政府は今、この地図を回収して回っているのだ」 と、店の主人がうれしそうに話す。

 交渉に交渉を重ねてやっと地図帳を手に入れた。 中国でもっとも権威ある国営の 「地図出版社」 が公刊した、豪華な本である。 一党独裁のもとで、共産党中央宣伝部の厳しい検閲を経たものでなければ公開できない時代の産物である。 「社会主義の先輩、ソ連の先進的な製図の技術を学び、中等以上の学識ある人たちが世界情勢を正しく認識するために編纂へんさんした」 と、出版社の編集部はその前書きで地図出版の目的について明記している。

 中国人たちは昨年夏に 「内モンゴルの草原を失っても釣魚島を守る!」 という横断幕を掲げて行進していた。 その一方で、 「古くからのわが国の固有の領土」 との主張の根拠を覆す資料を高く日本人に売りつけようとする庶民がいるのも現実である。 中国特有の官製ナショナリズムと庶民文化との乖離かいりの実態を表す象徴的な事実である。

 この地図については、日本側も把握しており、外務省のサイト にも掲載されている。





( 2013.12.29 )

 

 1949年に中華人民共和国( 中国 )が成立して以降、71年7月までに中国政府系の地図出版社が発行した地図の中に、領有権を主張する沖縄県・尖閣諸島について 「釣魚島」 という中国名が一切記載されていないことが29日分かった。 中国が尖閣諸島の領有権主張を始めたのは71年で、同年以前に国家測絵( 測量製図 )総局が作成した国内地図にも記載がなかった。 主張開始に合わせて尖閣諸島周辺の国境線の位置を意図的に変更したとみられることも判明した。

 46年~2003年までに中国で発行された国内・世界地図計50種類以上を時事通信が入手し、調査した。 複数の専門家によると、尖閣諸島をめぐり中国発行の地図を作成年次ごとに連続して系統的に調べたのは初めてとみられる。

 尖閣問題に詳しい芹田健太郎・京都ノートルダム女子大学学長( 国際法 )は 「政府系出版社の地図に( 中国名の )記載がないのは、領土という意識がなかったことを裏付けるものだ」 と指摘した。 こうした地図の存在は、日本の尖閣諸島国有化や中国による防空識別圏設定で対立を深める日中間の議論にも波紋を広げそうだ。





 
 







  テレビ朝日 「スーパーモーニング」 で 元TBS職員で現在大学教員の 田畑光永 氏なる人物(※) がとんでもない発言をしていることを知った。
 同氏の主張は概ね以下のとおり
( 1 )明治27年古賀氏からの開発行為申請にたいし、政府は清国領土たるを懸念し、結論を保留。
( 2 ) 「台湾を獲る」 つもりであったので 条約3ヶ月前に日本領を示す杭などの建植を閣議決定。
( 3 )その後対外的に日本領を宣明する手続きをとっていない。
( 4 ) 「同諸島は台湾の附属」 との考えから 台湾と同時に日本領と政府は解したもよう。
( 5 )サンフランシスコ講和条約で 「台湾を返還」 。
( 6 )サンフランシスコ条約、日華条約時および沖縄返還時に中華民国乃至中華人民共和国は自国領を主張しなかったことが日本が領有権を主張の根拠となっているかの如き文脈。
( 7 )石油産出の可能性が明らかになってから問題が大きくなったが石油の期待も大したことはなさそう。
( 8 )日本政府の 「領土問題は存在しない」 との態度ではなく席について話合いをすべきだ。 故鄧小平主席の言った 「先の世代に委ねる」 に沿って欲の張り合いでない議論するのがよい。
  ……… のようであったらしい。

 ここまで歴史を知っているならこれ以前の歴史も含めてもっと知っていることはあるはずだ。
 即ち、
( A )同氏の言うよりはるか前、明治18年から古賀氏がアホウドリの羽毛採取及び近海の海産物採取の為無人島であった 「久場島」 ( 現在の尖閣の主島である釣魚島 )及び他の3島の使用許可を求め国から30年間の無償貸与を認められたこと。 即ち領土問題で最も重要な実効支配をこの時点からしていたのである。 この契約は昭和元年に期限が来ると1年ごとの有料契約更新となり昭和7年尖閣4島の一括払い下げで私有地となり現在に至っている。 これを国が平成14年末か15年初頭に今度は民有地を国が借り上げると言う処置を取った。
( B )明治23年沖縄県は国標を建てるべく国に許可を求めたが国は大国( と信じられていた )清に気兼ねして先送りしたが明治28年国はこれを沖縄県所轄と正式に認定、標識を建てることを認可した。
( C )その後石油埋蔵の可能性が判明されるまでの約85年間如何なる国からも日本領土であることにクレームは無かった。
( D )一番いい証拠は石油問題が判明する以前の中国及び台湾の政府が発行した世界地図に尖閣諸島は日本領と明記されていたことだ。 勿論現在は彼らの領土と記すあざとさだが…
 田畑氏が当然これらを知らないはずは無いが、自分の主張に都合の悪いことは無視して視聴者を騙している としか思えない。
 大体氏の主張の( 2 )と( 4 )は矛盾しているではないか。 尖閣が台湾に属さないと信じたからこその国標ではないか。
 ( 5 )( 6 )の主張は全く事実に反する。 台湾は放棄したのであって返還した訳ではない。 その帰属は法的には微妙である。 日本の実効支配は明治18年からだし明治28年の国標設置は世界に領土宣言したことに他ならない。
 ( 7 )の 「石油は大したことはなさそう」 は事実に反すると思う。 何故なら中国は東シナ海の日中中間線の中国側には既に多数の油井を開発しているし尖閣近辺も虎視眈々と狙っているから。 日本のエネルギー政策があやふやだから日本側の調査が進んでいると思えない。
 資源問題も重要だが軍事的にもこの地帯は重要な位置を占める。 中国側から見れば樺太、千島列島、日本列島、尖閣、沖縄、台湾、フィリピン、インドネシアなどは中国海軍が太平洋に出る際の障壁と見えるだろう。 尖閣を占有すればそこに穴を開けることになるから中国にも軍事上重要なわけだ もし台湾武力攻撃が現実になった際アメリカ第7艦隊が台湾領域に進出するのにここを機雷などで封鎖することもありうるわけで米軍にとっても重要。
 ( 8 )に至ってはまるで中国のペースに巻き込まれよと言ってるに等しい。 中国とノンビリした話し合いなどできるわけ無いではないか。 断固毅然とするしかないのだ。

 使
(※)2009年12月15日、天皇の1ヶ月ルールを無視して急遽設定された面談(天皇特例会見)についても、 「中国では昔から君子に逢うことを重視しており、副主席が面談することは天皇陛下の政治利用にはならない」 とのコメントをしている。






 
  


 まずは左の極東地図を見ていただきたい。
 この地図を見るとまず日本と韓国・北朝鮮が消滅して中国の一部になっている。 これは 「2050 極東マップ」 というものらしい。
 これについて 「SAPIO」 ( 12月23日・1月4日号 )において浜田和幸が次のように述べている
 「私が初めてこの手の地図を目にしたのは、騒ぎになるよりも前、今から2年ほど前である。 中国に駐在していた経産省の知り合いの官僚が帰国したので、久しぶりに会って話をしたのだが、 『中国外務省の役人からこんなものを渡された』 と見せられた地図に込められた禍々まがまがしい野心に、強い衝撃と怒り を感じたことを今もよく覚えている」

 「出生率の低下で日本の人口はどんどん減少する。 そこで、列島の西半分に溢れ出た中国人を1億人単位で移住させ、 「東海省」 として 中国の一部とする。 少数民族となった日本人を、東半分に強制移住させ、 「日本自治区」 として、これも中国の版図に組み込む」

 何とも衝撃的なロードマップであろう。 中国にすれば日本はあくまでも 「征服対象」 でしかないという本音 を垣間見せたということだろう。

 そういえばかつて中国の首相だった李鵬が豪州で 「20年経てば日本と云う国はなくなっている」 と言っていたことをを思い出す。 だがこれはただの噂話の類ではなかった

 「この前、ちょう どAPECを控えて、我が自民党で御承知のようにAPECの問題でアメリカとオーストラリアに行ってもらったんです。 そのときに、オーストラリアのキー ティング首相がこう言ったんです。 中国の李鵬さんと会ったらどう言ったかといいますと、日本とのいろんな話をしたら、いや日本という国は40年後にはなく なってしまうかもわからぬと、そう言ったというんです。 これはうそじゃありません、これはほかの先生みんな行って言っているんですから。 それくらい軽視さ れているわけです、ある意味では」 《 笠原潤一参議院議員 ( 参議院 (1996-11-08). "参議院会議録情報 第134回国会 国際問題に関する調査会 第2号 ) 》

 
 2020年、東京五輪が開催されるその年、中国でも歴史的な出来事が起こる。1921年7月23日に結党した中国共産党が100年( 数え年 )を迎えるのだ。

 中国共産党といえば中国政府。日本の様に複数の政党が存在しない一党独裁政治が行われている中国にとって、共産党の記念年は中国そのものの記念年でもある。

 既に報道されているが中国はチベットを始めフィリピン、ベトナム、ウイグル、モンゴル…などアジア地域を武力で実効支配。 中華人民共和国の略称・中国という名が示す通り 「世界の中心」 を自負し、その為なら手段を選ばず領土拡大にいそしんでいる。 いわゆる覇権主義国家なのだ。

 中国に詳しい保守系政党の幹部が中国共産党の目論見を次の様に語る。
 「中国共産党には2020年までにGDPを2000年時の4倍にするという 『全国建設小康社会』 ( ゆとりある社会の建設 )樹立の公約とアジアを制圧するという内規があるのです。 武力の実効支配はその一環で日本の尖閣奪取も我が国を実効支配する為なのです」

 事実、中国の日本占領は( 中国内部で )既成事実化。 驚くべき事に共産党の息がかかった北京市内の学校では 「中国領になっている」 日本地図が教材として用いられているのだ。

 中国領になった日本地図を見ると静岡県、長野県、富山県を境にそれ以東が日本自治区。 愛知県、岐阜県、石川県以西が東海省と位置づけられている。
 併せて日本を実効支配した場合、韓国と北朝鮮も行き場が無く中国に統治。 結果、朝鮮半島全域は中国領の朝鮮省と呼ばれている。
 「中国共産党は東京五輪を"我が帝国( 中国 )最大の祭典"とうそぶいており、東京五輪開幕前までに実効支配を完了させている事をほのめかしている。 これは中国ではかなり有名な話で日本のマスコミ関係者も知っているハズ。 ところがマスコミは中国を敵に回したくないから報道しない。 危険な兆候です」 ( 前出・幹部 )

 10年9月7日、尖閣諸島のひとつ久場島沖で海上保安庁の巡視船 『よなくに』 に中国のトロール船が故意に衝突。 その際、中国政府は実効支配した国で駆使した手法( 領土の自己拡大 )をそのまま展開。 「尖閣は我が国( 中国 )の領土」 とでっち上げたのは記憶に新しい。

 だが、それ以上に問題なのは彼らが頑として譲らない 「もう一つ」 の言い分だ。
 「それは “尖閣にはそもそも領土問題など無い” という事。 仮に日本全体が中国に統治されれば尖閣は中国領となります。 実は今、中国では “日本は中国の属国で現在は独立国の様に泳がせている” という教育をしているのです。 そう考えると “尖閣に領土問題など無い” という “理屈” は成立するのです」 ( 前出・幹部 )

 中国領になった地図だけを見ると 「中国は自分勝手だなあ」 と笑い飛ばせるが、その奥にはそこまで強かな計算があるのだ。

 思想・良心の自由、表現の自由が保障されている日本と実質上、表現の自由、思想・良心の自由など無い中国 ―― どちらが幸せだろうか ……。


2050年日本列島は異民族に占領され、
日本人は屠殺される


 



 


 米太平洋軍( 司令部ホノルル )のキーティング司令官( 海軍大将 )は11日、昨年5月に中国を訪問した際、会談した中国海軍幹部から、ハワイを基点として米中が太平洋の東西を 「分割管理」 する構想を提案された ことを明らかにした。 上院軍事委員会の公聴会で証言した。 同司令官はこの 「戦略構想」 について、 「中国は影響が及ぶ範囲の拡大を欲している」 として警戒感を示した。

 キーティング司令官によると、この海軍幹部は、 「われわれ( 中国 )が航空母艦を保有した場合」 として、ハワイ以東を米国が、ハワイ以西を中国が管理することで、 「合意を図れないか」 と打診したという。

 同司令官は 「冗談だとしても、人民解放軍の 戦略構想を示すものだ」 との解釈を示し、中国の軍事、対外政策について 「きわめて注意深く監視している」 と語った。 また、これまでの米中軍事交流が米側の 期待を裏切るものだったことを報告。 不透明な国防費の実態に対する不満も述べ、 「とてもクラブで一杯飲もうという関係ではない」 と語った。

 中国軍幹部による太平洋の東西分割提案は、昨年8月に米紙ワシントン・タイムズが米軍関係者の話として報じていた。 米側は提案を拒絶したとしているが、同紙は 情報機関を含む米政府内の親中派内でこの提案に前向きな姿勢を示す向きもあったとしている。

 中国海軍は、原潜を含む潜水艦の活動をここ数年、日本や台湾、米領グアムの近海など西太平洋海域で活発化させていた。 「ハワイ以西」 との線引きは、中国が従来の国防圏としていた沖縄以西を大きく踏み出す野心的な構想といえる。

 キーティング司令官は提案者を明らかにしていないが、司令官就任後初の訪中だった昨年5月には、中国海軍では呉勝利司令官と会談している。


 ハワイを基点として太平洋西側を管理する。 それはすなわち 「日本を我が国の傘下に置く」 と言っていることそのものである。 つまり日本はこれだけコケにされていたのである。
> 「冗談だとしても、人民解放軍の 戦略構想を示すものだ」
 米軍には冗談のつもりでも日本にとっては決して 「冗談」 ではない話だ。 いずれは日本を中国の中に組み入れるという意志をはっきり示したということだろう。 それは中国政府・人民解放軍の 「目標」 の一つに日本があるという証左でもある。
 ならば米国と協調して中国を迎え撃つという発想も安易に過ぎる。 なぜなら
>情報機関を含む米政府内の親中派内でこの提案に前向きな姿勢を示す向きもあった
 当時のブッシュ政権でもそういう考えを持つ向きがあるのなら今のオバマ政権ではその傾向は高くなっていると考えたほうがいい。
 日本はつまり米か中かどころか場合によっては米をアテにせず中と対峙することを考えねばならなくなっている。 同盟国の米でさえも100%頼り切るのは危なっかしい、ましてや裏でははっきりとターゲットにされている国に対してオザワ大訪中団に代表される媚態外交などはもってのほかだ。
 それにしても経済においても今や中国がなければ成り立たないという状態は考え物ではないか。
 いつ牙をむいてくるであろう相手に依存することはまさに危険。 こと日本に取ってはそもそもに安保や経済のライバルである中国を太らせてしまうのは自分で自分の首を絞めているようなものだとわからんのだろうか。
 まさに 「家の中で綱や鎖を付けずに狼を養うに等しい」 ということ。
 最近の中国の日本への動き、ことに 「中国による天皇陛下の政治外交利用教唆」 も 「2050極東マップ」 への布石にも見える。
 それにうかうか乗ったオザワやハトヤマ一味、さらには大勲位やフクダなど 大馬鹿売国奴だらけだ!


  「鳩山首相に直接、福田康夫元首相( 73 )から電話があり、訪中時に約束しているので、習副主席と天皇陛下の会見を実現してほしいという要請があった」 と官邸筋は言う。
 日中国交正常化を実現させた田中角栄元首相の系譜に連なる小沢氏と、福田元首相はともに 「親中派」 として知られ、一時は 「大連立」 で合意しかかった仲だ。 福田事務所はこの件については 「ノーコメント」 としているが、自民党内が鳩山内閣批判一色でないのは確かだろう。
 ハトヤマ・オザワ・フクダらは結果的に 「2050極東マップ」 構想をアシストしたも同然

    尖閣衝突事件 





( 2012.08.25 )

 
  


 中国広東省の民間企業幹部が24日、中国版ツイッター 「微博」 で 「1949年から71年まで中国政府は釣魚島( 尖閣諸島 )を日本の領土と認めていた」 と異例の発言をした。 日本領有を示す53年1月の中国共産党機関紙、人民日報の記事や、複数の公式地図など根拠を挙げている。 微博では中国国内からの感情的な反論に加え、 「知識のない大衆が中国共産党に踊らされたことが分かった」 などと賛同する見方も広がっている。

 発言をしたのは同省広州の電子サービス企業、広東捷盈電子科技の取締役会副主席との肩書を持つ女性の林凡氏。 林氏は微博の運営会社、新浪微博から 「実名」 の認証を受けており、10万人以上の読者をもつ。

 林氏の資料によると、人民日報は53年1月8日付の紙面に掲載した記事で 「琉球群島( 沖縄 )は台湾の東北に点在し、尖閣諸島や先島諸島、沖縄諸島など7組の島嶼からなる」 と表記していた。 中国当局が監修した53年、58年、60年、67年に発行した地図の画像も示したが、その多くが 「尖閣群島」 「魚釣島」 などと表記。 日中境界線も明らかに日本領土を示している。

 林氏は冷静に証拠を積み重ねた上で 「中国政府はこれでも釣魚島はわれわれの領土だといえるのか」 と疑問を投げかけた。 中国国内からの反応には、 「資料をみて( 尖閣諸島が )日本領だったことが明白に分かった」 「( 当局に )タダで使われて反日デモを行う連中には困る」 などと、林氏支持の発言が出ている。

 一方、25、26の両日も、尖閣諸島の問題を巡る反日デモが、四川省南充や浙江省諸曁、広東省東莞、海南省海口など、地方都市で呼びかけられており、混乱は今後も続きそうだ。





 この女の人、大丈夫なのかな!?

 こんなこと言えば当局が 『警告』 してきます。
 ましてや企業幹部となれば、社会的な圧力が加わるでしょう。
 証拠の数なんて問題じゃありません。
 あっちは証拠の数だけ警官の数を増やす …… そういう国なんです。
 このニュースが本当だとしたら、相当不味いことになるはずです。

 中国国民は政府を信用していません。
 しかし、その上で騙されたフリをするんです。
 それが中国で生きる、ということです。




 





【 領土を考える 】

   危険

 今や領土問題は国民の関心事となったが、これまで政府は隣国との摩擦をできるだけ避けようと情報を閉ざしてきた。 半面、諸外国は竹島にしろ北方領土にしろ情報を発信してきた。

 竹島については、韓国では60歳の人が生まれたころから、 「わが国の領土」 と教育してきた。 だから、今となっては日本が奪いにきたという感覚しかない。

 日本の面積は世界で60番目くらいだが、領海とEEZ( 排他的経済水域 )の海洋権益は6番目。 この海洋国家を形成しているのが国境の島々で尖閣諸島はその一つで、中国が領有権を主張し始めて30年ほどでしかない。

 竹島での日本人の生活の痕跡は韓国によって一掃されてしまったが、尖閣諸島の魚釣島にはかつてカツオ節工場があり300人近くの日本人が暮らしていた確かな痕跡がある。 しかし、現在は大量のゴミが流れ着き自然繁殖したヤギが自然環境を侵食、豊かな漁場で漁をしようにも荒波の際の避難港もない。 現在は実効支配しているとはいえ、捨てられた島と同様だ。

 そうした中、東京都が順序立てて購入計画を進めてきたが、国が突然に国有化した。 これは間違いだ。 中国にとって都は交渉対象ではなく、抗議は日本政府を通すことになるため政府は抗議をうまくはぐらかすこともできた。 都が購入して避難施設をつくり安心して漁ができるようになれば実質上の実効支配ができた。

 しかし、国が買ったため国と国の対立が鮮明になった。 中国は次々と攻勢をかけるとみられ、行き当たりばったりの対策では大きな問題を引き起こす危険性があるため、根本的な対策が必要だ。





( 2012.09.19 )


 中国当局は東シナ海で漁期に入ったのをテコに、人々の関心を反日デモから直接、尖閣諸島に向けている。 中国の零細漁民は近年、尖閣諸島周辺海域にまで漁船をこぎ出す能力をもってきた。

 その兆候は、中国国営新華社通信発行の時事雑誌 「瞭望新聞週刊」 が昨年2月に掲載した記事にあった。

 「漁船をレベルアップするための改造を推奨し、争いのある海域での漁業活動を保障している」

 海洋境界の防衛には一致協力してことにあたる必要があるという趣旨の記事の中で、中国当局が漁民を紛争海域に送り込むことを奨励し、そのためにエンジンの改造に補助金を出すなどの支援を行うことを明らかにしていた。

 胡錦濤国家主席、温家宝首相のコンビが、国内保守派から親日派とみられないよう強硬策をとっている、などと考える必要はない。 2010年7月に彼らは 「国防動員法」 を施行し、軍国主義ばりの国家総動員体制を強いている。

 この法律の第9条は、法律の主語が温首相の国務院と胡主席の中央軍事委員会であることを明記する。 第48条の 「国防勤務」 では、動員された民間人が軍の作戦支援を行うことを義務づけている。 今回の漁船でいえば、一部は偽装された海上民兵だろう。

 海上民兵は海軍が実施する演習に定期的に参加している厄介な集団だ。 1974年にベトナムが領有していた南シナ海の西沙諸島の永楽島を漁民を装って占領している。 90年代にフィリピンが領有を主張していたミスチーフ環礁も乗っ取った。

 海上民兵は外見が漁船だから識別が難しいうえ、攻撃を受けると 「敵は無実の漁船を攻撃した」 と国際世論に訴える。 この陰険、卑劣な相手を駆逐する方法はあるのだろうか。

 近年でみると、強硬策としては太平洋の島国パラオ付近の海域で3月、違法操業を取り締まっていたパラオ当局が中国漁船に発砲し、漁船に乗船していた中国人1人を死亡させた ケースがある。 パラオ当局は漁船に残っていた中国人25人を拘束しており、侮った中国側の大失敗だった。

 粘り勝ちを狙ったのは、南シナ海のスカボロー礁で中国の艦船とにらみ合ったフィリピンの例だ。 この4月から、中国の監視船が大漁船団をタテに環礁周辺海域に現れ、フィリピンが艦船を送り込んで対峙たいじした。 フィリピンは日米両国を後ろ盾に、にらみ合ったまま一歩も引かなかった。

 96年の台湾初の総統選挙のさいに、中国が台湾海峡でミサイル発射実験により圧力をかけ、米国が2つの空母打撃群を派遣 したことがあった。 中国が民主主義と軍事力に敗北した例である。 以上は中国の圧力に敢然と立ち向かったケースだ。

 尖閣周辺の領海内で起きた中国漁船の体当たり事件で、わが民主党政権がヤワな対処法をとったのは周知の通りだ。 那覇地検にこの船長を不起訴処分にさせた。 しかし実際には、クリントン米国務長官による日米安保条約の尖閣適用発言や、レアアース( 希土類 )輸出の全面差し止めに対する国際的な非難が、中国に圧力をかけることになった。

 中国は相手国の徹底した抵抗と、国際社会の非難には敏感に反応する。 日本はこれら 「対中対処法」 を組み合わせ、柔軟にくり出すべきだろう。 尖閣諸島の 「国有化」 は、中国の理不尽さを際立たせ、逆に日本人に防衛意識を目覚めさせた。





( 2012.10.04 )
 

 中国の海洋監視船が2日に続いて、3日も尖閣諸島周辺の日本領海内に侵入した。 日本の尖閣国有化以降、5度目の領海侵犯である。

 野田佳彦政権は外交ルートでの抗議を繰り返すだけでなく、覚悟を決めて経済財政面などで中国に実効性のある対抗カードを検討すべきだ。

 中国国家海洋局は尖閣周辺海域を警戒する第11管区海上保安本部を 「右翼」 と呼び、巡視船の活動を非難した。 楊潔●中国外相が国連総会で 「日本が( 尖閣を )盗んだ」 と発言した後、対日批判の言動が過激になってきた。

 中国の漁業監視船は日本の排他的経済水域( EEZ )内で、中国漁船への立ち入り検査を繰り返している。 日本のEEZ内での漁業管轄権行使は基本的に違法で許されない。 中国が尖閣奪取に向け、 不法行為を積み重ねて既成事実化を狙う 意図はますます明白だ。

 また北京税関当局が日本の新聞などを没収した措置は、共産党による自由な言論を封じ込める行為といえ、許し難い。

 度重なる領海侵犯に対し、外務省の杉山晋輔アジア大洋州局長が在日中国大使館の韓志強公使に電話で抗議した。 だが、問題はこうした対応だけでは、もはや限界に達していることだ。

 野田首相はより実効性のある対抗措置を講じるため、各省庁に民間も加え、どんなカードが可能かについて知恵を絞るべきだ。

 例えば、中国野菜の不当廉売が問題となった平成13年、日本は世界貿易機関( WTO )ルールに従ってネギなど3品目に緊急輸入制限( セーフガード )を暫定発動した。 今回も、農薬過多がいわれる野菜 の検疫強化や、通関検査の厳格化が考えられる。

 また今年度42億5千万円が予算計上された対中政府開発援助( ODA )は、到底国民の支持を得られない。 即時凍結すべきだ。 今年始まった円と人民元の直接取引の抑制も検討課題となり得る。

 反日デモの暴徒化では 「中国リスク」 が鮮明となり、民間の対中投資見直しも必要といえる。

 海上保安庁と自衛隊の連携による警備体制強化が必要なことは言をまたない。 巡視船増強、海上保安官の増員、島嶼とうしょ防衛のための陸上自衛隊への水陸両用車両導入などが急がれる。 国有化だけで何もしない方針を改め、漁業中継基地建設なども検討すべきだ。

     ( 注 )●=簾の广を厂に、兼を虎に





( 2014.12.07 )


 東日本大震災では中国軍が救援に来たが、その際に彼らは何をしたのか、こんな証言がある。
( 中国の救援部隊が )ずっと写真を撮っていたという話を聞きました。 自衛隊の活動の写真を望遠レンズで撮っている。 結局、これは日本人の行動様式と自衛隊の装備を撮っていたんでしょう。
 被災地救援の名目でやってきて、実は自衛隊の装備などを調べる。 お人好しの日本人から見れば 「まさか」 としか思えないが、 「渡る世間は鬼ばかり」 の国際社会では不思議ではない。 ほかにも、こんな事実がある。
( 震災時には )中国のヘリコプターが南西方面で護衛艦に急接近したり、火事場泥棒のような出来事の連続でした。 あのとき、自衛隊の戦力の40%が災害派遣に投入され、日本がいかなる防衛体制を敷いているのか調査しに来たのですが、挑発行為は凄まじいものがありました。




 中国が自衛隊の戦力を調べているのは訳がある。 国内の経済的行き詰まりや党幹部の汚職、 少数民族の反乱などで不満が溜まっている時に、 尖閣諸島などをきっかけに対外戦闘を起こすのは、 恰好のガス抜きになるからだ。

 先の大戦で大敗を喫して、もう戦争はこりごりという日本人とは違って、中国の政府も人民も戦争にそれほどの拒否感はない。 1950年にのべ500万人を投入して約90万人の死傷者を出した朝鮮戦争以降も、1962年のインドとの中印戦争、1969年にウスリー河の中州でソ連国境警備隊と衝突した珍宝島事件、1974年に南ベトナム軍を駆逐した西沙諸島占領作戦。

 80年代にも南シナ海でベトナム海軍の輸送船を撃沈し、90年代にはフィリピンが支配していた南沙諸島を占領している。 数十人、数百人の死傷者が出ようと、この程度の事件は中国にとっては戦争というより、局地的な小競り合いとでも言うべきもので、外交の延長でしかない。

 尖閣諸島においても、小競り合い程度で奪えるなら、中国は容赦しないだろう。 逆に自衛隊が強くて、中国軍の面目が潰れるようなことになったら、逆効果なので手出しは控える。 そうした戦略的判断をするためにも、自衛隊がどの程度の戦力を持っているのか、について中国は諜報活動をしている訳である。




 こうした中国の動きに対して、 いまだに 「平和憲法さえ守っていれば平和は守れる」 という声があるのは驚くべきことだ。 この態度からは、 中国軍の戦力、 意図などに関して、 諜報活動をしようなどという発想が出てくるはずがない。

 諜報活動に関する日本人の鈍感さが敗戦の一大要因だったと、米軍は指摘している。 昭和21( 1946 )年4月、米軍がまとめた 『日本陸海軍の情報部について』 という調査書には、次の一節がある。
 日本軍の精神主義が情報活動を阻害する作用をした。 軍の立案者たちは、いずれも神がかり的な日本不滅論を繰り返し表明し、戦争を効果的に行うために最も必要な諸準備をないがしろにして、ただ攻撃あるのみを過大に強調した。 その結果彼らは敵に関する情報に盲目になってしまった。
 この一文を次のように変えてみたら、現代日本も同様であることが分かるだろう。
 護憲平和主義が情報活動を阻害する作用をした。 護憲論者たちは、いずれも神がかり的な 「平和憲法さえ守っていればどこの国も攻めてこない」 という護憲平和論を繰り返し表明し、防衛を効果的に行うために最も必要な諸準備を蔑ろにして、ただ護憲あるのみを過大に強調した。 その結果彼らは中国軍に関する情報に盲目になってしまった。
 大東亜戦争中に大本営の情報参謀として従事した堀栄三氏は、戦争中に我が国が諜報活動を軽視したために、いかに困難な戦いを余儀なくされたか、を著書 『大本営参謀の情報戦記』 に描いている。 そのあとがきにはこうある。
 また本書に掲げた多数の戦場での教訓の数々は、ひたすら祖国のためにと思いながら歯をくいしばって、正確な情報に基づかない、誤れる戦略に殉じて散華していった三百万の英霊たちの叫び声に他ならない。
 12月8日の大東亜戦争開戦の日を機に、この英霊たちの叫び声に耳を傾けて見たい。 同じ過ちを現代にも繰り返さないために。